Dr. Morimoto’s pain clinic ドクター森本の痛みクリニック
50 先天性無痛症
身体守る“痛み”の大切さ
私どもは、身体の内外から侵害(痛みを生じる)刺激を受けると、恐怖、不快感、不安などの感情を伴った「痛み」として経験し、記憶する。この記憶のおかげで侵害刺激を回避し、身体を防御しているのである。
「先天性無痛症」と呼ばれる疾患がある。読んで字のごとく「痛み」を感じない。遺伝性運動知覚ニューロパチーと呼ばれる疾患群の中で、特に知覚神経と自律神経が先天的に障害される遺伝性知覚自律ニューロパチーがこれに当てはまる。この疾患はⅠ~Ⅴ型に分類されるが、痛みを感じず自律神経の障害(発汗の消失ないしは過多)を伴っている点が共通している。わが国には百~二百人の患者さんがおられ、中でもⅣ型(先天性無痛無汗症)が多いと報告されている。
「予防注射を受けても泣かない、入浴後にも汗をかかない」として気づかれることが多い。歯が生える時期になると歯で舌を傷つけたり、唇や指を噛むといった自傷行為を起こすようになる。その後はけがによって皮膚を化膿(かのう)させたり、様々な部位の骨折、足や膝関節の破壊(シャルコー関節と呼ぶ)、骨髄炎などを繰り返す。
温度に対する感覚も低下~消失していることから、ストーブなどに直接触れていても分からずに重篤な火傷を負ってしまう。また、内臓からの痛みを感じることが出来ないために、通常は激痛を伴う盲腸炎や腹膜炎などを見逃されることもある。併せて発汗機能が消失している場合には、体温調節ができずに熱中症を引き起こす。
メルザックとウォールの共著『痛みへの挑戦』(誠信書房)には、記憶に残る患者として、二十九歳でこの世を去ったミスCに関する記述がある。「この若い女性は高い知性の持ち主であり、生まれてから痛みを感じたことがなかったことを除けば、すべての点で正常であるように見えた。子供のとき、彼女は、食事中に舌の先を噛み切ってしまったことがあり、また、窓から外を眺めようとして熱いラジエーターに膝をついて乗ったために3度の火傷を負ったことがある」と。
すべての患者さんを慢性痛から解放することは医療の永遠のテーマである。しかし、一方で、痛みを感じないために重篤な合併症に悩み、生命の危険に晒(さら)されている方もおられるのである。ここでは、侵害刺激から身体を守ってくれる痛み(急性痛)の大切さを、改めて考えることも重要であろう。
(森本昌宏=近畿大麻酔科講師・祐斎堂森本クリニック医師)